奇跡のダービー制覇 フサイチコンコルド
誰もがその目を疑った瞬間でした。1996年の日本ダービー東京優駿での出来事です。
僅か2戦のキャリアでダービーに臨んできたフサイチコンコルドが勝ってしまったのです。
フサイチコンコルドはカーリアンとバレークイーンの仔で、体質が弱くデビューも遅れ、初戦が1月の京都の新馬戦でした。1.9倍の人気を集め勝ち上がりました。続くオープン特別のすみれステークスも勝ち、賞金的には皐月賞の出走も可能になりました。しかし小林調教師は出走を見送りました。狙いはダービーでその前に無理をさせたくないという考えでした。
そしてダービートライアルの特別戦プリンシパルステークスに出走予定が東京への輸送中に熱発で出走断念せざるを得ませんでした。これで賞金的には出走が微妙になりましたがなんとか出走できることになりました。ここにも運(ラッキー)がありました。ダービは運のいい馬が勝つというジンクスがあります。
3戦目がダービーというあまり聞いたことが無いローテーションに人気の方も当然ながらあまりありませんでした。
1番人気は弥生賞の勝馬でトライアルのプリンシパルステークスを勝った武豊のダンスインザダーク、2番人気は皐月賞2着の南井克己のロイヤルタッチ、3番人気は皐月賞馬四位洋文のイシノサンデーで、フサイチコンコルドは7番人気でした。鞍上は天才藤田伸二です。
レースは予想通りサクラスピードオーの逃げで始まりました。ダンスインザダークがしっかりと3番手追走、フサイチコンコルドは中団の内。3コーナーでは全馬一段となる混戦模様。直線に入ってダンスインザダークがサクラスピードオーをかわし先頭に立ちます。そこにフサイチコンコルドも並びかけ、両馬の争いになって最後はクビだけフサイチコンコルドはダンスインザダークをかわしゴールイン。藤田伸二の右手が高々とあがりました。場内は唖然としました。僅か3戦のキャリアでダービーを制したのです。奇跡が起こったのです。3着は人気薄のメイショウジェニエ、4着にロイヤルタッチ、皐月賞馬イシノサンデーは5着でした。
僅か3戦でのダービー制覇は1943年のクリフジ以来で戦後初の快挙でした。
秋の菊花賞を目指し、初戦はトライアルの京都新聞杯を予定していましたが、相変わらず体調が不安定で結局トライアルは見送りオープン特別のカシオペアステークスに出走しました。単勝1.3倍と圧倒的1番人気に支持されましたが、逃げたメジロスズマルに5馬身の差をつけられ2着に終わりました。馬体重は18キロ増でした。
そして菊花賞です。宿敵ダンスインザダークが京都新聞杯を勝って乗り込んできました。1番人気はダンスインザダーク、フサイチコンコルドは2番人気、ミナモトマリノスが3番人気でした。
レースは団子状態で進み、フサイチコンコルドは比較的前目、ダンスインザダークはやや後方からの競馬になりました。直線に入ってフサイチコンコルドと岡部幸雄のロイヤルタッチが抜けてきたところに大外からダンスインザダークが物凄い脚で追い込み2頭をかわし優勝しました。2着にロイヤルタッチ、3着がフサイチコンコルドでした。
その後もフサイチコンコルドは脚部不安に悩まされ、一度も出走することなく引退となりました。僅か5戦の現役生活でした。
種牡馬生活に入りバランスオブゲーム、ブルーコンコルド、オースミハルカなどを輩出しました。奇跡の馬として語り継がれました。
宿敵ダンスインザダークは悲願のクラシック制覇を果たしましたが、この後屈腱炎を発症しこれまた引退となりました。
この年のクラシック馬はフサイチ、ダンスが4歳で引退。皐月賞馬のイシノサンデーは翌年の金杯を勝つもその後は勝利を収められませんでした。
フサイチコンコルドの戦績 5戦3勝 2着1回 日本ダービー東京優駿
それでは今日はこの辺で。