ハイセイコーとタケホープ
私がまだまだ競馬なんぞに興味が無かった頃、昭和48年(1973年)、ハイセイコーという馬が地方競馬から中央競馬に殴り込んできたと大変な騒ぎになっていました。それまでシンザンの名前ぐらいは聞いたことがありましたが、ハイセイコーの出現で競馬がぐっと身近なものになりました。
地方競馬の大井競馬で6連勝を飾り、勇躍中央競馬に移籍してきました。地方の怪物と呼ばれ、競馬ファンの間では中央入りが待ち望まれていました。
そして3月の弥生賞が中央デビュー戦となりました。騎手は増沢末夫、当然1番人気に支持されました。当日は123,000人の観客を集めました。まだ改修前の中山競馬場です。私も知っていますが、あの古い中山競馬場に12万人以上の観客は異常です。
レースは予想とは違い、辛勝でした。後々に不安を抱かせるレースとなりました。
続いて皐月賞トライアル、スプリングステークスに出走。ここでも勝つには勝ちましたが、思うようなレースではありませんでした。
そして迎えた皐月賞。ハイセイコーは1番人気に支持されました。関西から3連勝してきたホウシュウエイトが2番人気でした。雨の降りしきる重馬場でした。重馬場は未経験で不安視されましたが、3コーナーで先頭に立つとそのまま押し切り、2馬身半差の圧勝でした。2着にはカネイコマでした。これでハイセイコー人気は異常なまでに高まりました。特にサラリーマンには立身出世の夢を与える存在になりました。
そして次走は東京競馬場を経験させたいとNHK杯への出走を決めました。このローテーションには一部から無謀だとの意見も多くありました。なにせ中2週で使い詰めです。
当日の東京競馬場は物凄い騒ぎでした。なにせ17万人の観客が押し寄せたのです。当時の最多記録を更新しました。
レースはハイセイコー初の黒星かと思う瞬間がありました。それでもゴール前アタマだけ抜け出しカネイコマを抑え中央4連勝を飾りました。この時の単勝支持率は83.5%で100円返しでした。
そして迎えた東京優駿・日本ダービー。当然1番人気です。2番人気に関西馬のクリオンワード、3番人気にホウシュウエイト、カネイコマは4番人気でした。弥生賞でハイセイコーの7着に敗れたタケホープは直前の500万条件(当時の3クラス目)4歳中距離特別を勝ち上がって出走してきました。9番人気でした。この頃はまだ28頭立てのレースでした。
レースはローテーションの不安が現実化し、ハイセイコーは直線で一旦先頭に立ちますがその後伸びず、タケホープとイチフジイサミに交わされ2馬身半差の3着に終わりました。場内は騒然となりました。ニュースでもトップを飾るほどでした。これでハイセイコーの不敗神話は崩れました。それでもよく頑張ったと思います。
この敗戦でもハイセイコー人気は衰えるどころかますます高まっていきました。ハイセイコーの弱さの一面を見せられたファンはなお一層ハイセイコーにシンパシーを感じたのでしょう。
秋は京都新聞杯からのスタートとなりました。レースはトウヨウチカラに半馬身差で敗れ2着でした。このレースにはタケホープも出走しましたが6番人気で8着と惨敗しています。ダービー馬が次レースで6番人気というのも珍しく、やはりこの時点ではダービーはフロックと見做されていたのでしょう。
そして菊花賞です。ハイセイコーが1番人気。イチフジイサミは5番人気、タケホープは主戦の嶋田功が落馬事故で武邦彦に乗り替わり、それも不安視されて6番人気でした。
レースは第4コーナーでは他馬を引き離し先頭に立ちますが、直線でタケホープが追い込み、2頭のマッチレースに。ほぼ同時にゴールイン。私はハイセイコーが勝ったと思ったのですが、長い写真判定に結果タケホープがハナ差ハイセイコーをかわし優勝しました。歴史に残る名勝負でした。タケホープはダービーとの2冠に輝き、この年の年度代表馬に選出されました。
懐かしい杉本アナウンサーの実況です。
ハイセイコーはこの後有馬記念に出走しますが、ストロングエイト、ニットウチドリの3着に終わりました。
明けて5歳(今でいう4歳)になっての初戦は1月のアメリカ・ジョッキー・クラブ・カップ(AJCC杯)でした。このレースにはタケホープも出走して5度目の直接対決となりました。
レースはタケホープが優勝、ハイセイコーは10頭立ての9着と惨敗しました。明らかに疲れが溜まっているようでした。
次に3月の中山記念です。このレースもハイセイコーとタケホープの直接対決となりました。
そして2頭そろって春の天皇賞へ。1番人気はハイセイコー、タケホープが2番人気でした。
この年は厩務員ストの影響でレースが1週延期されました。これがハイセイコーの調整に微妙に影響したようです。
レースは早めに先頭に立ったものの粘れず、タケホープ以下に交わされ6着でした。優勝はタケホープ、2着にストロングエイト、3着クリオンワードでした。
ハイセイコーはこの後宝塚記念に出走。このレースで初めて1番人気を外します。1番人気は有馬記念馬で春の天皇賞2着馬ストロングエイトでした。ハイセイコーは天皇賞の敗戦で人気を落としてしまっていました。
しかしレースではクリオンワードに5馬身差をつけるレコード勝ちで圧勝。再びハイセイコー人気が復活します。
続いて高松宮杯を勝って休養に入ります。一方のタケホープも天皇賞の後、屈腱炎で休養に入りました。
ハイセイコーは秋の天皇賞(当時は3200メートル)を目指し、秋初戦に京都大賞典を選びました。しかし負担重量62キロが響いたか、2番人気4着に敗れます。
そして天皇賞へのステップとしてオープン戦へ出走します。ここにタケホープが出走してきました。
結果はハイセイコーが1番人気ながらヤマブキオーの2着、タケホープは5着でした。
このレースの後ハイセイコーは鼻出血をし、天皇賞を断念せざるを得ませんでした。
そして両馬にとってのラストランになったのが暮れの有馬記念でした。
人気の方は距離が買われたのかタケホープが1番人気、2番人気に京都大賞典でハイセイコーを破った6歳馬のタニノチカラ、ハイセイコーは3番人気でした。有馬記念としては小頭数の9頭立てでした。
レースはタニノチカラが逃げ、ハイセイコーは3番手追走、中団からタケホープという態勢。直線に入ってもタニノチカラの勢いは衰えず、ハイセイコーとタケホープが追いますが差は縮まらず、そのまま5馬身差でゴールイン。しかしその後のハイセイコーとタケホープの争いに場内は大歓声。結局ハイセイコーがクビ差で2着とタケホープに競り勝ちました。タニノチカラが勝ったことよりもこの2頭の争いに場内もテレビも大騒ぎでした。タニノチカラの強さが目立ったレースでしたが、ファンにとってはもう一つのレースが見られたという満足感があったのではないでしょうか。
レース後2頭は引退します。ハイセイコーは増沢末夫が歌う『さらばハイセイコー』という唄が大ヒットし、この歌に乗って引退式が行われました。
一方タケホープはひっそりと引退したように記憶しています。2頭の戦いはハイセイコーの5勝4敗ですが、大レース(G1級)ではタケホープの3勝1敗でした。特に2400メートル以上ではタケホープが4勝1敗と圧勝でした。
引退後はハイセイコーがG1級の勝馬を3頭(カツラノハイセイコ、サンドピアリス、ハクタイセイ)出しているのに対し、タケホープには目立った産駒はいませんでした。明暗が分かれました。
ハイセイコーは私を競馬の世界に引きずり込んでくれた思い出の名馬です。この2頭のライバル対決はその後のT.T対決(トウショウボーイ、テンポイント)、3冠対決(ミスターシービー・シンボリルドルフ)など数多くの競馬の名勝負へとつながっていきます。
ハイセイコーは第1次競馬ブームを巻き起こしました。このあと、やはり地方出身のオグリキャップが第2次競馬ブームを巻き起こします。日本人は判官びいきといいますか、弱い立場の者が強いものを倒していくというストーリーがどうも好きなようです。
シンボリルドルフやディープインパクトのような完全なエリートよりはハイセイコーやオグリキャプのような野武士の強さを好むのかもしれません。
ハイセイコーの戦績 地方6戦6勝 中央 16戦7勝 皐月賞、宝塚記念
タケホープの戦績 19戦7勝 東京優駿(日本ダービー)、菊花賞、天皇賞(春)
それでは今日はこの辺で。
史上最強馬 ディープインパクト
長い競馬観戦の歴史の中で、私が最強と思う馬は無敗の3冠馬であるシンボリルドルフとディープインパクトでしょう。どちらも甲乙つけがたい強さを持っていました。
シンボリルドルフは先行抜けだしの、安定感抜群の優等生的競走馬でした。その分競馬でのハラハラ感と言いますか、面白みという点では同じく前年の3冠馬ミスターシービーよりは劣っていたと思います。
一方のディープインパクトは底知れない爆発力がありました。ゲートがあまり上手くなく、ハラハラさせる場面もありましたが、暴れん坊的な危うさがありましたが、その強さはどのレースを見ても驚嘆に値するものが有りました。
ディープインパクトは当時のリーディングサイヤーのサンデーサイレンスの仔でしたが、その産駒の中では特に目立った存在ではありませんでした。しかし調教で跨った武豊はその素質に驚いたと言います。
デビューの新馬戦は単勝1.1倍で4馬身差の圧勝、続くオープン特別も単勝1.1倍で最後方からの競馬で5馬身差の圧勝。3戦目の弥生賞は辛勝でしたが重賞初制覇。
そして皐月賞です。1.3倍の1番人気。この1.3倍がこの馬にとって、この年の有馬記念と翌年のジャパンカップでの生涯単勝高配当タイ記録です。あとはすべてこれ以下の配当でした。
レースではスタート直後に躓き、落馬寸前になりましたが、態勢を立て直し、最後方からの競馬にも拘わらず、最後はシックスセンスに2馬身半差をつけて完勝でした。
続いて日本ダービー東京優駿です。ここでは単勝1.1倍でした。単勝支持率73.4%でハイセイコーの記録を更新しました。2番人気はインティライミでなんと19.5倍でした。
レースはまたしても出遅れで後方待機。3~4コーナで徐々に進出、直線は大外に持ち出し、馬場の真ん中を通って圧勝。2冠達成。2着は内を通ったインティライミ、3着はシックスセンスでした。
夏場休養で秋初戦が神戸新聞杯でした。単勝1.1倍で快勝。2着はシックスセンス。
迎えた菊花賞では、ついに単勝1.0倍になりました。2番人気はシックスセンスの20.7倍でした。
レースは先行馬2頭が他馬を大きく引き離し、ディープインパクトは中団追走。4コーナー手前から徐々に進出。直線に入っても粘るアドマイヤジャパンを物凄い脚でディープインパクトが追い込み2馬身差をつけて優勝。21年ぶりの3冠馬誕生の瞬間でした。それも無敗での達成でした。まさに圧巻でした。
このあと有馬記念に出走、古馬との初対決となりました。単勝人気はさすがに1.3倍つきました。2番人気は前年の覇者ゼンノロブロイ、3番人気は菊花賞馬デルタブルースでした。
レースは例によって後方からの競馬です。先行していたハーツクライが直線半ばで抜け出します。外からディープインパクトが追い込みますが半馬身届かず、初の黒星を喫しました。場内騒然としました。ハーツクライは大レースでもいいところには来ますがなかなか勝ちきれなかった馬です。前走のジャパンカップ2着から調子を上げて、ルメール騎手の好騎乗もあって生涯最高のレースをしました。
シンボリルドルフが4歳(当時の馬齢)のジャパンカップでカツラギエースの3着と初黒星を喫したのとよく似ています。
しかし、ディープインパクトの活躍は前年のゼンノロブロイの活躍(天皇賞・秋~ジャパンカップ~有馬記念の3連勝)からディープインパクトの時代への移行を予感させるレースでした。ゼンノロブロイは8着に敗れ引退しました。
明けて4歳になり、海外遠征の話も出て来ました。とりあえず、春の天皇賞を目指し、その後フランスの凱旋門賞を狙うというものでした。
始動は阪神大賞典でした。単勝1.1倍で圧勝。続いて春の天皇賞です。ここも単勝1.1倍です。2番人気はリンカーンの14.4倍でした。
レースはまたしても出遅れで後方からの競馬。しかし3コーナー手前で進出、4コーナーでは先頭に躍り出て、そのままゴールイン。2着にリンカーン。まさに圧巻のレコード勝ちでした。これによって世界統一ランキングの超・長距離部門の世界1位になりました。
そして凱旋門賞挑戦が発表され、その手土産に選ばれたレースが宝塚記念でした。1.1倍の圧倒的人気で圧勝。GⅠ5勝目でした。世界ランキング長距離部門で1位になりました。
そしてロンシャン競馬場での凱旋門賞。日本中が固唾を飲んで見守りました。
レースは意外に早め3番手につけます。ちょっと早いんじゃないかと思いました。4コーナーを回って直線に入り、一旦は先頭に立ちますが、いつもの切れ味がありません。結局後続に差されて3着入線。悔しい敗戦でした。後日ディープインパクトから禁止薬物が検出されたとして、失格処分になりました。
これでシンボリルドルフ同様、海外遠征は敗北しました。どこまでも似ている2頭です。
帰国して最初のレースはジャパンカップです。秋の天皇賞という選択肢もありましたが、間隔が短すぎるということでジャパンカップになりました。
1.3倍の1番人気に支持されました。2番人気は初黒星を喫したハーツクライでした。
レースは最後方追走のディープインパクトが直線で伸びてきて優勝。2着は内で粘ったドリームパスポート、ハーツクライは10着に惨敗しました。
そして引退レースは有馬記念です。1.2倍の1番人気。2番人気はドリームパスポートでした。3番人気は天皇賞・秋、マイルチャンピョンシップのGⅠ2勝を含む重賞3連勝中のダイワメジャーでした。
レースはアドマイヤメインの大逃げで始まり、ディープインパクトは例によって後方からの競馬。4コーナー手前で一気にスパートし直線に向いた時には先頭。直線でもグイグイ伸び他馬を引き離して圧勝。華麗なるラストランを決めました。2着はポップロック、3着ダイワメジャーでした。遂に7冠達成で、シンボリルドルフに並びました。年度代表馬も2年連続で選出されました。
有馬記念 ディープインパクト感動のラストラン 2006年有馬記念
これでディープインパクトの現役生活は終わります。
しかしこの馬の活躍はこの後も続くのです。種牡馬になってからの成績は目を見張るものが有ります。これまで数え切れないほどのGⅠ馬、重賞ウィナーを輩出しています。
ノーザンテースト、サンデーサイレンスに匹敵する成績を収め活躍中です。
これぞ正に怪物の称号に値するのではないでしょうか。
ディープインパクトの戦歴 14戦12勝 2着1回 皐月賞、東京優駿、菊花賞、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念
テイエムオペラオーの快進撃は
2000年はテイエムオペラオーの快進撃で幕を開けました。
その前年の4歳(当時の馬齢)クラシック戦線は皐月賞がテイエムオペラオー、日本ダービーがアドマイヤベガ、そして菊花賞がナリタトップロードでした。
テイエムオペラオーは皐月賞を勝っていますので決して晩成型ではありませんが、古馬になってからの活躍を見てしまうと、4歳時はまだまだ開花前だったという印象は拭えません。
テイエムオペラオーのデビューは3歳8月の京都の新馬戦でした。2着になるものの6馬身差の完敗でした。そして骨折・休養で3歳を終えました。
翌年、1月京都のダートの未勝利戦に出走も4着に惨敗。続いて2月の同じくダートの未勝利戦でようやく勝ち上がりました。続く阪神で芝の500万下を勝って、毎日杯に出走します。3番人気でタガノブライアン以下を下し優勝。3連勝で皐月賞を目指し東上します。
皐月賞は超良血馬武豊のアドマイヤベガが1番人気、きさらぎ賞、弥生賞と重賞2連勝のナリタトップロードが2番人気、若葉ステークスを勝ったマイネルプラチナムが3番人気で、テイエムオペラオーは5番人気でした。
レースは上位人気馬が後方からの競馬となり、直線を向いて団子状態の中からおーすみブライトとナリタトップロードが抜けだしにかかるところを大外を回ったテイエムオペラオーが一気にとらえてクビの差で優勝、2着にオースミブライト、3着にナリタトップロードが入り、アドマイヤベガは6着でした。鞍上の和田竜二はGⅠ初制覇となりました。
その後日本ダービーはアドマイヤベガの3着、秋になって京都大賞典も3着、迎えた菊花賞はナリタトップロードにクビ差の2着、その後ステイヤーズステークスも僅かに及ばずの2着、暮れの有馬記念は健闘するもグラスワンダーの3着となかなか勝ちきれませんでした。
そして明け5歳、古馬になってテイエムオペラオーはそれまでの勝ちみの遅さが嘘のような大変身を遂げます。
まず、2月の京都記念ではライバル、ナリタトップロードをクビ差破って優勝、続き阪神大賞典ではこれまたラスカルスズカ、ナリタトップロードを退け優勝。そして春の天皇賞に駒を進めます。
春の天皇賞ではもちろん圧倒的1番人気に支持されます。2番人気はナリタトップロード、3番人気がラスカルスズカでした。
レースはタマモイナズマとレオリューホーが逃げナリタトップロードが先行、それをマークするようにテイエムオペラオーと続きます。直線に入ってナリタトップロードが抜けだしそれをテイエムオペラオーが捉えにかかり、直線半ばでかわしそのままゴールイン優勝しました。2着はゴール前追い込んだラスカルスズカ、ナリタトップロードは3着でした。
さらに快進撃は続き、次走宝塚記念ではグラスワンダーにも勝ち優勝。
秋初戦は京都大賞典を圧倒的1番人気でまたしてもナリタトップロードを抑え込み優勝。秋の天皇賞に出走します。
秋の天皇賞では1.8倍で1番人気。宝塚記念でテイエムオペラオーにクビ差まで迫ったメイショウドトウ、3番人気はナリタトップロードでした。
レースはロードブレーブとミヤギロドリゴが他馬を大きく引き離し逃げますが、直線に入って一段となり、メイショウドトウとテイエムオペラオーが抜けてきて、最後は2馬身半差をつけて優勝しました。3着にトゥナンテ、ナリタトップロードは5着でした。
そしてジャパンカップです。ここでも1.5倍の1番人気でした。2番人気は外国馬のファンタスティックライト、3番人気は武豊のエアシャカールでした。
レースはスローペースでステイゴールドが引っ張る形で一団となって進みます。直線も大混戦で、そこからメイショウドトウが抜け出しにかかり、テイエムオペラオーが並びかけ、外からファンタスティックライトも追い込んで接戦となりました。しかしテイエムオペラオーがクビだけ抜け出しメイショウドトウを抑えました。さらにハナ差でファンタスティックライトが3着になりました。テイエムオペラオーはこれで5歳になって無傷の7連勝を飾りました。
そしてグランプリ有馬記念を迎えます。テイエムオペラオーは1.7倍の1番人気に支持されました。2番人気はメイショウドトウ、3番人気はナリタトップロードでした。
レースは固まったまま3コーナーあたりからナリタトップロードが先頭に並びかけます。テイエムオペラオーは後方からの競馬で4コーナーあたりからようやく進出してきます。直線に入ってダイワテキサスが抜けてきますが、メイショウドトウも連れて上がり、中をついていつの間にかテイエムオペラオーが2頭の間を割って抜けてきます。結局ハナ差だけ抜け出しメイショウドトウを差しました。3着にダイワテキサス。ナリタトップロードは9着に敗れました。
競馬 2000年 有馬記念 テイエムオペラオー - 高画質 -
これで破竹の重賞8連勝を飾りました。しかもGⅠ5勝です。5歳時は負けなしの快挙を達成しました。
明けて5歳になって(この年から馬齢表記が国際基準となりました)、主戦の和田竜二が落馬骨折したため、春初戦は4月のサンケイ大阪杯まで待つことになりました。しかし調整は順調に運びませんでした。それでも単勝1.3倍という圧倒的人気で出走してきました。しかし直線伸びを欠き4着に敗れました。場内騒然としました。
続くは春の天皇賞です。ここでは人気が2.0倍とやや落とすも1番人気になりました。2番人気はライバル、ナリタトップロード、3番人気はメイショウドトウでした。ここには1年半ぶりのセイウンスカイも出走していました。
レースはセイウンスカイが逃げますが途中で息切れ後退、バラバラの展開になりました。テイエムオペラオーは3コーナーから手が動き始め、さらにムチが入って、あれあれこれはテイエムオペラオーは無いかな、と思わせるような動きでした。直線に入ってナリタトップロードが抜けだし、それにテイエムオペラオーが襲いかかり、これをかわしゴールイン。2着には追い込んだメイショウドトウ、ナリタトップロードは3着に沈みました。
テイエムオペラオーはGⅠ6連勝を飾り、都合GⅠ7勝でシンボリルドルフに並び、春の天皇賞2連覇はメジロマックイーンに次いで2頭目。さらに天皇賞3勝は史上初の快挙でした。
そしてGⅠ8勝の新記録を目指して宝塚記念に出走しました。もちろん圧倒的1番人気、単勝1.5倍でした。2番人気はメイショウドトウ、3番人気がエアシャカールでした。
レースはメイショウドトウが早めの競馬で仕掛けます。テイエムオペラオーは天皇賞と同じように反応が鈍く、追いどおしで4コーナーへ。メイショウドトウは早くも先頭。テイエムオペラオーは4コーナーで中に入れず、大外に持ち出す不利を受け、懸命に追い込みます。しかしその差は大きすぎ、1馬身4分の1届かずの2着に終わりました。
和田竜二も馬がズブくなっているとコメントしているように反応が鈍くなってきていました。
GⅠ8勝の夢はお預けになりました。
秋初戦は京都大賞典です。またしてもナリタトップロードとの戦いです。単勝は1.4倍の圧倒的1番人気。2強対決になりましたが、直線では2強にステイゴールドも加わり3頭のデッドヒート。ステイゴールドが先頭に立ってから、外に斜行し、あおりを喰ったナリタトップロードが落馬。ステイゴールドは1着入線も失格となり、テイエムオペラオーが繰上りの優勝となりました。やはりテイエムオペラオーの走りに陰りが見えてきました。
続いて秋の天皇賞です。ここも1番人気に支持されます。2番人気は宿敵メイショウドトウ、3番人気にステイゴールドでした。
レースは直線抜けだすも、4番人気のアグネスデジタルに差され2着。メイショウドトウは3着。またしても夢はお預けになってしまいました。
続くジャパンカップ。またしても1番人気に支持され、3歳馬で日本ダービーを勝ったジャングルポケットが2番人気、メイショウドトウが3番人気でした。
レースは直線で抜け出すもゴール前でジャングルポケットに差されクビの差で2着。ナリタトップロードが3着に入り、ステイゴールド4着、メイショウドトウ5着でした。
これまで競り負けることなどなかった馬がやはり力の衰えなのでしょうか。
引退レースとなったグランプリ有馬記念では1番人気になったもののマンハッタンカフェの5着となって、生涯最低の着順となってしまいました。
5歳時以降常にしのぎを削ったメイショウドトウもこのレースを最後に引退しました。
ナリタトップロードはこの後も活躍しますがGⅠには届きませんでした。
テイエムオペラオーは古馬の中長距離のGⅠをすべて勝ちました。その勝ち方は常に圧倒的勝利とは違い、あのシンザンのように僅差で勝つというものでしたが、着差以上の強さを感じさせる勝ち方でした。無駄な勝ち方はしないという事でしょうか。
一流騎手だったらもっと勝てていたのでしょうか、それは判りません。和田竜二もこの馬に乗ったおかげで成長したのでしょう。
テイエムオペラオーの戦績 26戦14勝 2着6回 皐月賞 天皇賞(春)2回、天皇賞(秋)ジャパンカップ、有馬記念、宝塚記念
それでは今日はこの辺で。
スペシャルウィーク VS セイウンスカイ
1998年の4歳牡馬のクラシックは横山典弘セイウンスカイと武豊スペシャルウィークの戦いになりました。
スペシャルウィークは3歳の11月、阪神の新馬戦で勝ち上がります。続く500万特別は2着でしたが、きさらぎ賞を1番人気で勝ち弥生賞を目指し東上します。当時日の出の勢いだったサンデーサイレンスの仔です。母の父はマルゼンスキー。
セイウンスカイは明け4歳になってからのデビュー。1月の中山の新馬戦を勝ち、続くオープン特別のジュニアカップも勝ち、弥生賞に挑戦します。
弥生賞にはもう1頭、キングヘイローという馬が出走してきました。これもダンシングブレーブの仔で良血馬でした。東京スポーツ3歳ステークスの勝馬でラジオ短波賞3歳ステークスも2着で乗り込んできました。騎手は福永祐一。
弥生賞はこの3頭が上位人気を占め、キングヘイローが1番人気、スペシャルウィークが2番人気。セイウンスカイが3番人気でした。この時はセイウンスカイの鞍上はまだ徳吉孝士でした。結果は逃げたセイウンスカイを後方から追い込んだスペシャルウィークが勝ち、セイウンスカイが粘って2着、キングヘイローが3着でした。
迎えた皐月賞はスペシャルウィークが単勝1.8倍の圧倒的1番人気に支持されました。2番人気は横山セイウンスカイ、3番人気にキングヘイローとなりました。
レースはコウエイテンカイチがセイウンスカイのハナを奪って先頭、セイウンスカイは2番手に抑えます。その後にキングヘイロー、スペシャルウィークは後方待機。直線に入ってセイウンスカイが先頭に立ち、逃切りを図ります。それを懸命にキングヘイローが追い、さらに外からスペシャルウィークが追い込みますが差が詰まりません。結局セイウンスカイが1着ゴールイン、2着キングヘイロー。スペシャルウィークは3着どまりでした。
そして日本ダービーです。今度こそとばかりにスペシャルウィークが1番人気に支持されます。キングヘイローが2番人気、セイウンスカイは3番人気でした。
レースは予想を覆してキングヘイローが逃げを打ちます。セイウンスカイは2番手追走。スペシャルウィークは中団の内。直線に入ってキングヘイローは脱落。代わってセイウンスカイが先頭に立ちます。そこに中からスペシャルウィークが伸びてきて、後続に5馬身差をつけて圧勝しました。2着には皐月賞6着の14番人気ボールドエンペラー、3着には15番人気のダイワスペリア―が入り、セイウンスカイは4着、キングヘイローは14着に終わりました。武豊はダービー初制覇でした。
秋の菊花賞を目指して、セイウンスカイは古馬混合の京都大賞典をステップレースに選択しました。セイウンスカイはその年の春の天皇賞馬メジロブライトを退け、逃げ切って優勝しました。
スペシャルウィークとキングヘイローはトライアルの京都新聞杯で相まみえます。スペシャルウィークは断トツの単勝1.2倍の1番人気でキングヘイローを下し優勝します。キングヘイローは2着でした。
そして迎えた菊花賞。スペシャルウィークが1.5倍の1番人気。2番人気はセイウンスカイ、キングヘイローが3番人気でした。
レースはセイウンスカイの逃げで始まりました。キングヘイローは先行集団、スペシャルウィークは中団やや後方。各馬バラバラの展開。セイウンスカイの脚色衰えず直線へ入ります。後続との差は開く一方でそのまま見事な逃げ切り勝ちでした。スペシャルウィークは追い込みましたが2着がやっとの状態でした。キングヘイローは距離が響いたのか伸びず5着でした。3着にはエモシオンが入りました。
スペシャルウィークはこの後、ジャパンカップに挑戦します。このレースでもスペシャルウィークは1番人気に支持されます。2番人気は女傑エアグルーヴ、3番人気に同じ4歳ですがマイル路線を歩いてきてNHKマイル(GⅠ)を勝ったエルコンドルパサーでした。結果はエルコンドルパサーが勝って、スペシャルウィークはエアグルーヴに次ぐ3着でした。
一方のセイウンスカイとキングヘイローは暮れの有馬記念に出走してきました。セイウンスカイは堂々の1番人気に支持されます。エアグルーヴが2番人気、メジロブライトが3番人気でした。結果は同じく4歳馬で前年の3歳チャンピョンの的場均グラスワンダーが4番人気で優勝、メジロブライトが2着、ステイゴールドが3着、セイウンスカイは逃げるも4着でした。エアグルーヴが5着、キングヘイローは6着でした。
明けて5歳、スペシャルウィークとセイウンスカイの戦いは続きます。
スペシャルウィークはAJCC杯と阪神大賞典を連勝して春の天皇賞に駒を進めます。セイウンスカイは日経賞を勝ち西下します。
春の天皇賞はスペシャルウィークが1番人気、セイウンスカイが2番人気、2連覇を目指すメジロブライトが3番人気でした。
レースは1週目の正面スタンド前でようやくセイウンスカイが先頭に立ちます。スペシャルウィークはがっちり3番手キープ。メジロブライトはやや後方から。直線に入るとスペシャルウィークがセイウンスカイに襲いかかり、先頭に立ちます。外からメジロブライトが追い込みますがなかなか差が詰まりません。結局半馬身差でスペシャルウィークが優勝、セイウンスカイは3着でした。
このあとスペシャルウィークは宝塚記念に向かいます。ここでも単勝1.5倍の圧倒的人気になりました。2番人気は同期のグラスワンダー。キングヘイローは5番人気でした。レースはグラスワンダーに3馬身の差をつけられる苦杯を喫しました。
セイウンスカイは夏場の札幌記念に出走、1番人気で優勝し。秋の天皇賞を目指します。
スペシャルウィークは秋初戦の京都大賞典をまさかの7着に終わり、不安を残しながら秋の天皇賞に向かいます。
天皇賞はセイウンスカイが1番人気、スペシャルウィークは不安説を払拭できず、初めての4番人気になりました。キングヘイローは9番人気まで落としました。
レースはセイウンスカイが逃げられず、後方からの競馬になってしまいました。スペシャルウィークも後方からです。直線に入ってもセイウンスカイは出て来ません。ゴール前は大混戦になりました。人気薄のステイゴールドが抜けだしたかと思った瞬間、外からスペシャルウィークが強烈な末脚を見せクビ差かわしてゴールイン。3着にエアジハード、セイウンスカイは5着に終わりました。スペシャルウィークはタマモクロスに次いで天皇賞春秋連覇を果たしました。
セイウンスカイはレース後屈腱炎を発症、長期休養に入ります。そして1年半後の春の天皇賞に出走しますが、大差のどん尻負けを喫し、引退を決意します。
スペシャルウィークはジャパンカップに出走します。スペシャルウィークは2番人気でした。1番人気は外国馬のモンジュー、3番人気も外国馬のタイガーヒルでした。
レースはアンブラスモアが大逃げを打ち、スペシャルウィークは後方待機。直線半ばでスペシャルウィークが抜けだし優勝。2着にインディジェナス、3着にハイライズ、4着にモンジューでした。外国馬を蹴散らし優勝は見事でした。武豊はジャパンカップ初制覇でした。
そして有馬記念へと向かいます。しかし人気のほうは宝塚記念を勝ったあと毎日王冠を勝った同期のグラスワンダーがわずかにスペシャルウィークを上回り、1番人気になりました。グラスワンダーは昨年の優勝馬でもあり、この2頭の対決には盛り上がりを見せました。3番人気はメジロブライト、4番人気はこの年の菊花賞馬ナリタトップロード、同じく2着のテイエムオペラオーが5番人気でした。
レースはグラスワンダーが中団、スペシャルウィークは最後方という態勢で進みます。直線に入ってグラスワンダーが抜けだしてきますが大混戦模様。外からスペシャルウィークが差したかと思ったところがゴールでした。中からはテイエムオペラオーも突っ込んでいました。武豊は勝利を確信したのかウィニングランでファンに応えていました。テレビ放送もスペシャルウィークと武豊をずっと映していました。長い写真判定の結果、ハナ差でグラスワンダーが優勝。その差4センチメートルでした。グラスワンダーは史上3頭目(スピードシンボリ、シンボリルドルフ)の有馬記念連覇になりました。3着にはテイエムオペラオー、4着にタヤスツヨシ、5着がメジロブライトでした。テイエムオペラオーは翌年以降の快進撃を予感させる好走でした。
スペシャルウィークはこのレースを最後に引退しました。
この世代は強い馬が多かった。スペシャルウィーク、セイウンスカイ、キングヘイロー、エルコンドルパサー、グラスワンダー等々。
スペシャルウィークとセイウンスカイの現役時代の勝敗はスペシャルウィークの4勝2敗でした。
種牡馬になってからは大きな差が出来ました。セイウンスカイが目立った産駒を輩出できなかったのに比べ、スペシャルウィークはシーザリオ、ブエナビスタ、トーホージャッカルなどのGⅠ馬や重賞ウィナーを多く出しました。
スペシャルウィークの戦歴 17戦10勝 日本ダービー、天皇賞(春)、天皇賞(秋)
それでは今日はこの辺で。
人気薄での2冠達成! サニーブライアン
1997年のクラシックは以前の記事で紹介した1981年の皐月賞、日本ダービーの2冠を達成したカツトップエースによく似た馬が登場し結果的にはこの年の4歳馬の主役になりました。
その馬はサニーブライアンです。ブライアンズタイムにスイフトスワローの血統で全兄に22番人気という超人気薄で日本ダービー2着のサニースワローがいます。
サニーブライアンは3歳(当時の馬齢)時は10月の新馬戦を勝ち上がりますが、その後は勝てず、明けて4歳の1月、オープン特別のジュニアカップで2勝目をあげました。続く弥生賞では5番人気ながらランニングゲイルの3着となり皐月賞の出走権を得ました。その後皐月賞トライアルの指定オープン若葉ステークスに出走するも1馬bb人気ながらシルクライトニングの4着に敗れます。
そして迎えた皐月賞。サニーブライアンはすっかり人気を落とし11番人気でした。1番人気は共同通信杯を勝ったメジロブライト、2番人気は弥生賞を勝ったランニングゲイル、3番人気は毎日杯2着のヒダカブライアン、以下オースミサンデー、エアガッツと続きました。この年は3歳王者のマイネルマックスも回避して混戦模様になっていました。冒頭で似ていると称したカツトップエースは皐月賞では16番人気でしたのでそれよりは少しだけ人気面では高かったようです。サニーブライアンは逃げた時には強さを発揮する馬で、逃げられなかったときには脆さが出ます。
レースは大外枠を引いたサニーブライアンが果敢に先頭に立ちます。一時先頭を譲る場面もありましたが3コーナー付近では再び先頭に立ちます。メジロブライトは最後方からの競馬。直線に入ってサニーブライアンが他馬を引き離しにかかり、あれよあれよとゴールに近づきます。そこにシルクライトニング以下が猛烈に追い込みますが、クビ差で逃げ切りました。2着に10番人気のシルクライトニング、3着に12番人気のフジヤマケンザン、メジロブライトは4着、ランニングゲイルは6着となり、大荒れの皐月賞になりました。馬連51,790円でした。
続く日本ダービー。皐月賞は敗れましたが人気はメジロブライトが1番人気に支持されました。2番人気はランニングゲイル。皐月賞と全く同じです。3番人気に直前の京都4歳特別を勝ったシルクジャスティスが入りました。皐月賞馬サニーブライアンはやはり皐月賞がフロック勝ちとみられ6番人気でした。それもシルクライトニングが競争除外となったためで、実質は7番人気でした。カツトップエースが日本ダービーでは3番人気になったのに比べ、評価は低いものでした。枠順も皐月賞と同じ大外枠を引き、騎手の大西直宏はこれで勝ったと思ったと言いますから凄い自信だったのでしょう。
レースは大外から一気に先頭に立ったサニーブライアンが平均ペースに持ち込み淡々と逃げます。メジロブライトは中団待機。同じ逃げ馬のサイレンススズカが抑えてくれたのもサニーブライアンにとっては大きかった。そして直線へ。サニーブライアンの脚色は衰えません。そのままゴールイン。メジロブライトも追い込みにかかりますが届かずの3着。ゴール手前、大外からシルクジャスティスが伸び2着に入りました。実況の「もはやフロックではない」が印象的でした。馬連4,860円の高配当でした。
サニーブライアンはこの後菊花賞を目指すはずでしたが、レース中に骨折していたことが判明、全治6カ月の診断で結局菊花賞を断念、翌年の春の天皇賞に目標を変更しますが、今度は屈腱炎を発症、結局そのまま引退することになりました。
日本ダービーが最後のレースとなった点もカツトップエースに類似していました。
この年の有馬記念をシルクジャスティスが勝ち、翌年の春の天皇賞をメジロブライトが勝ったところから、サニーブライアンはやっぱり強かったのだ、と再認識されました。
秋の菊花賞はマチカネフクキタルが勝ち、メジロブライトは3着。人気になりながらもどうしてもクラシックには手が届きませんでした。カツトップエースの時のサンエイソロンによく似ています。
種牡馬となってからは重要勝ち2頭を輩出、その他地方競馬での産駒が目立ちました。
2011年17歳で死去。
それでは今日はこの辺で。
奇跡のダービー制覇 フサイチコンコルド
誰もがその目を疑った瞬間でした。1996年の日本ダービー東京優駿での出来事です。
僅か2戦のキャリアでダービーに臨んできたフサイチコンコルドが勝ってしまったのです。
フサイチコンコルドはカーリアンとバレークイーンの仔で、体質が弱くデビューも遅れ、初戦が1月の京都の新馬戦でした。1.9倍の人気を集め勝ち上がりました。続くオープン特別のすみれステークスも勝ち、賞金的には皐月賞の出走も可能になりました。しかし小林調教師は出走を見送りました。狙いはダービーでその前に無理をさせたくないという考えでした。
そしてダービートライアルの特別戦プリンシパルステークスに出走予定が東京への輸送中に熱発で出走断念せざるを得ませんでした。これで賞金的には出走が微妙になりましたがなんとか出走できることになりました。ここにも運(ラッキー)がありました。ダービは運のいい馬が勝つというジンクスがあります。
3戦目がダービーというあまり聞いたことが無いローテーションに人気の方も当然ながらあまりありませんでした。
1番人気は弥生賞の勝馬でトライアルのプリンシパルステークスを勝った武豊のダンスインザダーク、2番人気は皐月賞2着の南井克己のロイヤルタッチ、3番人気は皐月賞馬四位洋文のイシノサンデーで、フサイチコンコルドは7番人気でした。鞍上は天才藤田伸二です。
レースは予想通りサクラスピードオーの逃げで始まりました。ダンスインザダークがしっかりと3番手追走、フサイチコンコルドは中団の内。3コーナーでは全馬一段となる混戦模様。直線に入ってダンスインザダークがサクラスピードオーをかわし先頭に立ちます。そこにフサイチコンコルドも並びかけ、両馬の争いになって最後はクビだけフサイチコンコルドはダンスインザダークをかわしゴールイン。藤田伸二の右手が高々とあがりました。場内は唖然としました。僅か3戦のキャリアでダービーを制したのです。奇跡が起こったのです。3着は人気薄のメイショウジェニエ、4着にロイヤルタッチ、皐月賞馬イシノサンデーは5着でした。
僅か3戦でのダービー制覇は1943年のクリフジ以来で戦後初の快挙でした。
秋の菊花賞を目指し、初戦はトライアルの京都新聞杯を予定していましたが、相変わらず体調が不安定で結局トライアルは見送りオープン特別のカシオペアステークスに出走しました。単勝1.3倍と圧倒的1番人気に支持されましたが、逃げたメジロスズマルに5馬身の差をつけられ2着に終わりました。馬体重は18キロ増でした。
そして菊花賞です。宿敵ダンスインザダークが京都新聞杯を勝って乗り込んできました。1番人気はダンスインザダーク、フサイチコンコルドは2番人気、ミナモトマリノスが3番人気でした。
レースは団子状態で進み、フサイチコンコルドは比較的前目、ダンスインザダークはやや後方からの競馬になりました。直線に入ってフサイチコンコルドと岡部幸雄のロイヤルタッチが抜けてきたところに大外からダンスインザダークが物凄い脚で追い込み2頭をかわし優勝しました。2着にロイヤルタッチ、3着がフサイチコンコルドでした。
その後もフサイチコンコルドは脚部不安に悩まされ、一度も出走することなく引退となりました。僅か5戦の現役生活でした。
種牡馬生活に入りバランスオブゲーム、ブルーコンコルド、オースミハルカなどを輩出しました。奇跡の馬として語り継がれました。
宿敵ダンスインザダークは悲願のクラシック制覇を果たしましたが、この後屈腱炎を発症しこれまた引退となりました。
この年のクラシック馬はフサイチ、ダンスが4歳で引退。皐月賞馬のイシノサンデーは翌年の金杯を勝つもその後は勝利を収められませんでした。
フサイチコンコルドの戦績 5戦3勝 2着1回 日本ダービー東京優駿
それでは今日はこの辺で。
10年ぶりの三冠馬 ナリタブライアン
1994年の4歳クラシックはナリタブライアンに始まりナリタブライアンで終わりました。
ナリタブライアンは1993年8月の函館の新馬戦でデビューしました。前年の菊花賞馬で年度代表馬のビワハヤヒデの半弟ということもあって、2番人気に押されましたが結果は2着でした。続く2戦目の新馬戦で勝ち上がり、函館3歳ステークスに臨みますが、6着に惨敗。次走の福島競馬場の特別戦を勝って、デイリー杯3歳ステークスに挑戦しますが3着どまり。
続く京都のオープン特別からナリタブライアンのシンボルであるシャドーロールを装着するようになりました。結果はレコード勝ちでした。これはナリタブライアンの臆病な性格を矯正するためでした。これがまんまと当たりました。
続く朝日杯3歳ステークスも1番人気で圧勝し、最優秀3歳牡馬に選出され、翌年のクラシック候補ナンバーワンに躍り出ました。
明けて4歳(当時の馬齢)になり、初戦は共同通信杯を選択しました。単勝1.2倍の断トツ人気で、2着のアイネスサウザーに4馬身の差をつける圧勝劇を演じました。
次走は皐月賞トライアル、フジテレビ賞スプリングステークスです。ここも単勝1.2倍で2着フジノマッケンオーに3馬身半の差をつけ圧勝しました。もはや敵なしの状態です。
そして迎えた3冠レースの1冠目、皐月賞。人気は単勝1.6倍でナリタブライアンが1番人気。2番人気に弥生賞2着のエアチャリオット、3番人気に弥生賞を勝ったサクラエイコウオーとなりました。3番人気はすでに単勝10倍を超えていました。
レースはサクラエイコウオーが逃げを打ち、ナリタブライアンは7~8番手。4コーナーで先頭集団に取り付き、直線に入るとあっさりと抜けだし、後続をみるみる引き離し1着ゴールイン。シャドウロールも鮮やかに踊っていました。2着には人気薄のサクラスーパオーが突っ込み、連れてフジノマッケンオーが3着に入りました。まずは1冠獲得でした。鞍上の南井克己は2度目の皐月賞制覇となりました。
続く日本ダービー東京優駿は圧倒的人気のナリタブライアン一色になりました。単勝はなんと1.2倍。単勝支持率は61.7%でハイセイコーの66.6%に次ぐ記録でした。2番人気はトライアルのNHK杯を勝ったナムラコクオー、3番人気はサクラエイコウオーでした。3番人気は15.9倍にもなりました。
レースはメルシーステージが逃げるところをアイネスサウザーが掛かり気味に先頭に立ちます。ナリタブライアンは先行集団の7~8弁手追走。4コーナーからまくり気味に進出したナリタブライアンは直線に入り馬場の真ん中を通り、外にヨレながらも先頭に立ち、グングンと後続を引き離しそのままゴールイン。2着にはエアダブリン、3着にヤシマソブリンが入りました。ナリタブライアンの強さだけが目立ったレースでした。これで2冠目達成です。南井克己はダービー初制覇を果たしました。単勝払戻120円はシンボリルドルフの130円を抜いて当時の史上最低の配当でした。
ナリタブライアンは3冠を目指して、秋初戦は菊花賞トライアルの京都新聞杯を選びました。単勝支持率77.8%、オッズは1.0倍の1番人気でした。しかし調教量不十分で一抹の不安を抱えていました。その予想が的中し、ゴール前スターマンに差され2着に敗れました。連勝は6で止まりました。
そして迎えた3冠目、菊花賞です。ナリタブライアンは1.7倍で1番人気、2番人気にはダービーの3着の後ラジオ短波賞、福島民放杯を連勝してきたヤシマソブリン、3番人気はダービー2着で京都新聞杯3着のエアダブリンでした。ナリタブライアンを破ったスターマンは4番人気でした。
レースはスティールキャストの大逃げで始まり、ナリタブライアンは大きく離れた7番手、その前にヤシマソブリン、エアダブリンはその後、という態勢。4コーナーで一気に差が詰まるとナリタブライアンが楽々と抜けだし、7馬身の差をつけて圧勝。2着にヤシマソブリン、3着にエアダブリン、スターマンは5着でした。
フジテレビの杉本アナウンサーの「弟は大丈夫だ!」という実況が有名になりました。この年の秋の天皇賞で兄のビワハヤヒデが5着に敗れるという波乱があったためこのような実況になったのですが、弟ナリタブライアンは兄が昨年樹立した菊花賞レコードを破る快走を見せました。
10年ぶり、史上5頭目の3冠馬の誕生の瞬間でした。セントライト、シンザン、ミスターシービー、シンボリルドルフに続く快挙です。
ナリタブライアンはこの後有馬記念に進みます。ここも1.2倍という有馬記念では珍しい圧倒的1番人気になりました。2番人気は秋の天皇賞を勝ったネーハイシーザー、3番人気はアイルトンシンボリ、4番人気は久々となるライスシャワー、女傑ヒシアマゾンは6番人気でした。
レースはツインターボの大逃げで始まります。ナリタブライアンは先行集団につけます。4コーナーでツインターボが飲み込まれ、一気に団子状態。直線に入ってナリタブライアンが抜けだし、3馬身差で優勝。2着には追い込んだヒシアマゾン、3着にライスシャワーが入りました。ここでもナリタブライアンは圧倒的強さを見せました。
明けて5歳になり、春初戦は3月の阪神大賞典になりました。単勝1.0倍で2着に7馬身の差をつける圧勝で、順調な仕上がりを見せました。
ところがその後子関節炎を発症し、春の天皇賞は断念せざるを得ませんでした。
その後も北海道で調整をはかるもなかなか思うような調教が出来ないような状態でした。しかし陣営は秋の天皇賞への出走を決めました。
それでも天皇賞では2.4倍ながら1番人気に支持されました。2番人気はサクラチトセオー、3番人気はアイリッシュダンスでした。しかしレースでは最後全く伸びず12着と惨敗しました。
続いてジャパンカップにも出走。再び1番人気に支持されるもランドの6着。
そして有馬記念にも出走。さすがに人気を落としますが2番人気に支持されます。結果はマヤノトップガンの4着。
こうしてナリタブライアンの5歳時は1つの勝鞍でで終わりました。
明けて6歳、初戦は前年と同じく阪神大賞典を選びました。ここには前年の菊花賞馬で有馬記念にも勝ったマヤノトップガンが出走してきました。1番人気はマヤノトップガン、差が無くナリタブライアンが2番人気でした。
レースは3コーナーで先頭に立ったマヤノトップガンを4コーナーでナリタブライアンが並びかけ、そのまま直線へ。直線は2頭のデッドヒートが続きます。抜きつ抜かれつで最後はナリタブライアンがアタマ差抜け出し優勝しました。歴史に残る名勝負になりました。
競馬 阪神大賞典 ナリタブライアン vs マヤノトップガン - 高画質 -
そして迎えた春の天皇賞。当然ナリタブライアンが1番人気に返り咲きました。1.7倍と圧倒的支持を集めました。2番人気はマヤノトッブガンで2.8倍、3番人気は中山記念を勝ってきたサクラローレルで、14.5倍と2頭が人気を集めました。
レースは先行馬2頭が大きく他馬を引き離し逃げます。ナリタブライアンとマヤノトップガンは中団。向う正面でじわじわ上がっていき、4コーナーから直線の入り口ではこの2頭が先頭に躍り出ます。また阪神大賞典の再現かと思われましたが、マヤノトップガンが意外と伸びず、ナリタブライアンが先頭。そこに外から満を持してサクラローレルが襲い掛かり、あっさりかわし先頭ゴールイン。2馬身半差をつけられナリタブライアンが2着、ホッカイルソーが3着、マヤノトップガンは5着に敗れました。
そしてこの後、ナリタブライアンはあろうことか、この年からGⅠに格上げされ、距離も1200メートルの短距離戦に変わった高松宮杯(当時の呼び名)に出走してきました。これには皆驚かされました。1番人気は前年のGⅠスプリンターズステークスを勝ったヒシアケボノ、ナリタブライアンは2番人気、3番人気はフラワーパークでした。この無謀とも思われる挑戦でナリタブライアンは武豊に乗り替わったものの4着に敗れました。大久保調教師への批判も相次ぎました。
レース後屈腱炎を発症し、結局、馬主の山路は引退を決断しました。大久保調教師はもっと走らせたかったようですが、最後は引退に同意しました。
4歳時の輝かしい実績に比べ5歳以降は寂しい成績に終わりました。それでも史上5頭目の三冠馬という名誉は消えることはありません。
その後種牡馬になりますが、目立った産駒は出せませんでした。
1998年、腸閉塞から胃破裂を起こし、安楽死処分で死亡しました。波乱万丈の馬生でした。
ナリタブライアンの戦績 21戦12勝 2着3回 朝日杯3歳ステークス 皐月賞 東京優駿日本ダービー 菊花賞 有馬記念
それでは今日はこの辺で。